合理性の幽霊

http://sankei.jp.msn.com/life/news/120118/trd12011811500005-n1.htm
色々なメディアで見かけた東日本大震災の被災者の幽霊。です。
ここで幽霊の存在を居るとも居ないとも断定することは出来ませんが、
幽霊なり妖怪といった不思議な存在の生まれ方の一つが示されていると思います。

つまり、
とても想像だにしていなかった事態で失った存在を埋めるものとしての幽霊。ということです。
例えば、江戸時代では月夜でなければそれこそ手元の灯りが届く範囲でしか物事が解りません。
そんな時にたまたまでも舞ってきた葉が背筋に当たったら・・・・。
硬く冷たいものが当たり、どこかにいった。
葉が舞うのですから風が吹いている。
明るい昼日向であれば葉っぱか・・・で済んだかもしれません。
でも、漆黒の闇の中だったら・・・・。
妖怪の存在を持ってくると合理的に説明が出来てしまいます。
夜中に背筋を撫でるのは妖怪の仕業。と。

妖怪が居たか居ないか。ではなく、人とはそうやって合理性を求める存在なのでしょう。
で、供養という式を持ってくることで、幽霊が出なくなることを合理付けして解消する事も有ると。

但し、本当に幽霊なり妖怪が居ない。という事が言えるわけでもないことにはご注意ください。
幽霊なり妖怪が実在するしない。という議論とは別に、人間の在りかた。というだけです。


京極堂の世界ですね。