日本一論争

先日の関ジャニの中で使われた"日本一”についてバンドの掲示板が荒れそうになりました。


ただ、そもそもとしてM協の大会で順位が明確に出るのは一般のみ。
その他のカテゴリーではグランプリが実質的にそうみなされます。
それも無い場合は・・・?


かつては金賞受賞団体を代表して表彰される団体が一位といわれたことがありました。
が、これも公にされている訳ではありません。
では、どうして順位が謂われるのでしょう?


これは出場団体には審査結果の得点表が演奏演技終了後に配布され、そこに出場各団体の点数が載っているので、それを見て。です。


但し、
この審査結果は公にはされないので、関係者のみぞ知る。というものです。
そのため、これに基づく事には無理があるとも言えます。


M協は各カテゴリーで審査の基準を公表していますので、それを見ると小学生では細かい審査はしていません。
中学、高校、一般となるに従って細かくなります。
これはカテゴリーに合わせた無理の無い審査をすること。
つまり、
無理な演奏演技を求めないM協の方針と思えます。
とすれば、金賞=日本一というには背伸び感が有るとしてもあながち間違ったものではないでしょう。
むしろ、公ではない審査結果を基に順位を競うのはいかがでしょう?
小学生でも指導によっては一般バンドを超えます。
事実、DCJではそういった結果が出ています。


でも、それが小学生に望ましいのか?
順位を求めると練習/指導にかかる時間、労力、コストはかなりのものです。
それが指導者にとって。では無く、子供達にとって、音楽に親しむための過程だとすれば良いでしょう。
ただ、ともすると、これだけ練習したのだから、と過程が結果を求めることになりがちです。
結果(順位)が出ない事で保護者が指導者に詰め寄る光景を見たこともあります(娘のバンドではないので、念のため)。
そうなると、マーチングという素晴らしいものを通じて子供達が得るものを差し置いて、保護者/指導者の思いが強すぎはしないでしょうか?


同じ事を行って結果を競うものではないので、アイススケートのフィギュアと同じく審査の難しさは常に課題だと思います。
とすれば、細かい事に重きをおくのではなく、子供達の成長/得たものに焦点を当てるのは間違ってはいないでしょう。


残念ながら勝負事ですので涙も有ります。
結果によって表情は変われど得るものは常に有るはずです。
保護者/指導者の姿勢がどうなっているのか?
それが子供達にどう影響しているのか?


ちょっと見つめ直してみませんか?