教育の場という密室

教師という方々を見ているとつくづく不思議に思います。


それは現実感が恐ろしく無いこと。


勿論、全員とは言いません。
常識と言われるであろう最大公約数的な考えを持っている方も居ます。
でも、
教育の場(教師にとって)というのは残念ながら以下が欠けています。
競争環境
学習環境
経営環境


あまり詳細に述べると特定に至るのでぼかしますが、
競争環境。
教師の地位をそう簡単には失わない。という現実。
学級崩壊や、問題を起こしても他の学校に転任しておしまい。
その学校に留まって評価のもとに晒されないので簡単にリセットされてしまい変わる必要が無いのです。
特に小学校は3〜5年で転任がデフォルトなので・・・。
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良い教師とセットで引き取られていく駄目教師の話も聞きます。


学習環境。
熱心な教師ほど時間が有りません。
家庭からの相談、行事への参加、PTA等々。
当然、私生活だってあります。
中学以上では部活の顧問という放課後・週末・休日の時間を取られるものも大きく存在します。
その中で指導や教材研究をこなさないといけないので過酷です。
駄目教師は全く授業時間以外を使わないので、余裕で自分の時間を確保します。
酷い場合は空き時間を自分のために使用します。


経営環境。
支出に関しては予算内なら無関心。
予算を超えたらPTA予算を当てにする。
見積もりを取るとか無いし、内訳無しの請求書が通るとか(この請求額が予算ぴったりとかね)。
何故か、予算と決算がぴったりとあう。
民間では考えられない甘さ。


教師に社会人としての常識を求めてはいけません。
民間とは桁違いに異なる環境で過ごしているのです。
で、それに輪をかけるのが、毎年の繰り返しに慣れてしまうこと。
子供も社会も、本人も変わっていくのに何故か、行動を変えない。
前例主義以外無い世界。
また、労力を惜しむことに励みます。
保護者が学校活動に協力してくれる中に商売目的があることや、売名行為も有る事が分からない。
自分たちが楽なら何でもOK


昨今、教師やその上位の教育委員会がアホなのはそんな環境だからです。
もっと社会に出てもらわないといけません。
世間はもっと厳しいし、責任を取らないといけないのです。


ついでに書くと、
PTAは前世紀の遺物。
専業主婦が多かった時代の設計をそのままにしているからなり手が乏しくなる。
なり手があっても社会経験が無かったりすると、議論すらまともに出来なかったり、
お役所以上に権力に酔う人が出てきてしまって・・・・。
だって、見積もりが出れば発注されていると勘違いする人がPTA役員だったりするんですよ。
PAT予算って、本来は子供の学習環境のためなのに、親で使ってしまおうとか・・・。


頑張っている/変化しないといけないことが分かっている教師には本当に苛酷な環境です。